2012年4月2日月曜日

人は何のために生きているのか? 人類の夜明


(2)私達は生命である

あなたは今、自分の体を感じていますね。つねれば痛いし、蚊に刺されれば痒いし、夏になれば暑いし、冬になれば寒いと感じるこの体を自分だと思っているはずです。もし、この体が本当の自分でなく乗り物である車だとしたら、あなたは車と運転手のどちらを大切にしますか?。どんなに車が立派でも、運転手が乗っていなければ車は動かないのです。車が勝手に動くことはないからです。人間も体が勝手に動くことはないのです。体の中に運転手が入って、こう動かそう、ああ動かそう、と考え運転するから体は動くのです。

では車と運転手と、どちらが本当の自分でしょうか?。そうです。運転手が本当の自分なのです。運転手と体があまりにも一体化しているため、車を自分だと勘違いしているのです。もし、つねっても叩いても痛く感じなかったら、もしかしたら体を自分だと思わないかも知れません。そうなら、火の中に手を入れ大火傷をしたり、手に釘を打ち込んで大怪我をしたり、お腹がすかないから食べないで飢え死にするかも知れません。それではボディーが維持できないので、私達には五つの感覚器官が与えられているのです。すなわち、見る目と、聞く耳と、匂いを嗅ぐ鼻と、味わう舌と、感触を感じる肌の、五つの感覚器官が与えられているのです。

私達のボディーと車とは実に良く似ています。車を動かすために、ガソリンやオイルや水を入れますが、私達も食べ物を食べ、水を飲みます。車には、サニーだとかコロナだとか名前が付いていますが、私達にも太郎とか花子とか名前が付いています。また人間は口を通してものをいいますが、車もクラクションを通してものをいいます。人間は排泄物を出しますが、車も排気ガスを出します。こうして見ると、私達と車とは実に良く似ていることが分かります。ただ、固いか柔らかいかの違いがあるだけです。

それでは、一番大切な部分に触れることにしましょう。車は運転手がものを考えますが、人間は誰がものを考えるのでしょうか?。もう少し分かりやすく、車は人間が乗って運転しますが、人間を運転しているのは一体誰なのでしょうか?。どんな名前の運転手なのでしょうか?。本当の自分は誰で、どんな名前の持ち主なのでしょうか?。

誰もが、見て触れるこのボディーを自分だと思っております。でも本当の自分は、ボディーでは無いのです。本当の自分は、ボディーを運転している「生命」という名の運転手なのです。生命という名の運転手は、エネルギーですから目には見えません。その見えない生命エネルギーが、ものを考え、言葉を話し、行動しているのです。自分だと思っているこのボディーは、生命エネルギーの住処であり表現媒体なのです。ボディーは、老い、病み、死にますが、生命エネルギーは年も取らないし、病気にもならないし、死ぬこともない永遠不滅の存在なのです。

あなたに亡くなった祖父母がいたとしましょう。その祖父母は亡くなったのではなく、乗り物が無くなっただけで、運転していた生命は無くなっていないのです。今も生き、あなたを見守っています。使い物にならなくなった車が廃棄処分されるように、祖父母の体も使い物にならなくなったから廃棄処分されただけなのです。

人間が「生・老・病・死」という四苦から逃れられないのは、この消えてなくなるボディーを自分だと思い違いしているからです。もしボディーが自分でなく、老いることも、病むことも、傷つくことも、死ぬこともない生命を自分だと思えたら、一切の苦しみから解放されるのです。


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本当にあるものなら、決して無くなることはありません。本当に無いから、人間は消えて無くなるのです。私達は、人間が思ったり語ったりすると思っていますが、本当に無い人間が、どうして思ったり語ったりできますか?。本当にある生命のみが、ものを思い、ものを語り、もの行えるのです。あなたが家族と団欒できるのは、あなたの中に生命が宿っているからなのですよ!。あなたが恋人と甘い恋を語れるのは、あなたの中に生命が宿っているからなのですよ!。あなたがアスリートとして活躍できるのは、あなたの中に生命が宿っているからなのですよ!。生命こそ、ボディーを生かし、動かし、働かせている主人なのです。

このように私達には、消えて無くなる偽者の自分と、永遠に無くならない本当の自分がいるわけですが、正しいものの見方ができないため、どうしても見て触れるボディーを自分だと誤解してしまうのです。

遠い昔より「人形に魂が宿る」といわれてきましが、これは伝説でもおとぎ話でもなく事実だったのです。この宇宙では、形が作られると必ず生命が宿る仕組みになっているのです。この生命の宿りを、生命核が宿るとか、原子核が宿るとか、魂が宿るとか、呼ばれているのです。本当の自分とは、永遠不滅の「生命核・原子核・魂・本質」のことを言っているのです。

この生命核は大宇宙の中心にあり、さらに一つ一つの原子の中心にもありますので、一つ一つの生命核は宇宙の中心点になり得る存在なのです。この辺が非常に解りづらいところですが、今解らなくても結構です。ただ同じ一つの生命核が、あなたの中にも、私の中にも、すべての物の中にも、生きて働いているということだけ覚えておいて下さい。

さて、私達が人間と錯覚する理由の一つは、形が生き、生命が生きていると思えないからです。生命は見えないし触れもしないものですから、そう思うのも無理ありませんが、見える物は見えないものによって生かされ働かされているのです。私達は冷蔵庫が働いていると思っていますが、見えない電気エネルギーが働いているのであって、冷蔵庫そのものが働いているわけではないのです。冷蔵庫は、見えない電気によって働かされているのです。働かされているのと、働いているのとは大違いです。人間も同じように、生命というエネルギーが働いているのであって、ボディーそのものが働いているわけでは無いのです。形ある物の働きは、すべて見えない生命エネルギーの仕業なのです。

もう一つ人間と錯覚する理由は、ボティーが死んだら意識も無くなってしまうと思うからです。はっきりいって、ボディーには一点の意識もありません。もしあるなら、死人に言葉があるはずです。でも、そんな話し聞いたことがありません。それは、ボディーに意識が無いからです。

このように意識は生命に付属するものであって、ボディーに付属するものではないのです。ですから、形のボディーが糧を得ることはありません。糧を得るのは、あくまでも形を操っている生命の方です。生命こそ、永遠に記憶を留め、保持し、糧を積み上げてゆく真実なるものなのです。

ここまで、人間の実態は生命であると訴えてきましたが、あなたはまだ疑心暗鬼のようですね。無理もありません。気の遠くなる年月、人間だと思って生きてきたのですからね・・・。でも何となく、そんな気になってきたのではありませんか?。ではどうすれば、私達は生命になれるのでしょうか?。何か修行でもしなければならないのでしょうか?。

いいえ何もしなくても、今このままにして生命なのです。なぜなら、私達の本質そのものが生命だからです。これから本質になるのでしたら、何かしなければならないかも知れませんが、私達は生まれながらにして生命という名の本質なのです。もし何かすることがあるとすれば、生命と思えるようになる努力が必要なだけです。といっても、この思えるようになることが、大変といえば大変なのですが・・・。


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あなたは今日まで、自分のことを人間だと思って生きてきましたね。いいえ、あなただけではありません。あなたの両親も、学校の先生も、政治家も、誰も彼もが人間と思って生きています。その思い癖は心の髄の髄まで染み込み、今や自己催眠にかかったくらい凝り固まっているのです。他人がかけた催眠術なら、他人に解いてもらわなくてはなりませんが、自分でかけた催眠術ですから自分で解くしかないのです。私が他力信仰を否定する理由は、自力で催眠術を解くしかないからです。では催眠術を解くには、どうしたら良いのでしょうか?。

それは生命の自分に一心を集中し、生命の自覚を高めるしかありません。ボディーを自分と錯覚したことが人間癖を付けてしまったのですから、反対に生命を思い続けることで人間癖を取るしか無いのです。つまり、今無意識で人間と思っているように、無意識で生命と思えるようになるまで、生命を思い続けねばならないということです。

何の技術も何の修行も要りません。ただ思い続けるだけです。この思い続ける作業が、瞑想といわれるものなのです。瞑想は、自己催眠を解く最も手短な方法なのです。もし自己催眠から目覚めることができたら、偉大な知恵と力を持つ自分に変身できるでしょう。変身できるというより、本来の自分に蘇るといった方が良いかも知れません。その変身の様子は、第三章で述べたいと思います。

少々横道にそれますが、人間はどうして死ぬボディーを持ちながら、死を真剣に考えようとしないのでしょうか?。もし死を真剣に考えるようになったら、人間社会に一切の不幸は無くなるでしょうに・・・。なぜなら、死を真剣に考えるようになれば、

人間とは何か?

人生とは何か?

人は何のために生きているのか?など、人間そのものを考えざるを得なくなるからです。

あなたは、自分のことをどれほど知っておりますか?。せいぜい、このボディーのことぐらいしか知らないのではありませんか?。それで本当の自分を知ったといえるでしょうか?。本当の自分を知らないで、どうして正しい見識が持てますか?。どうして正しい物事の判断ができますか?。どうして正しい生き方ができますか?。

政治も、経済も、科学も、教育も、すべて「人間とは何か?」から始まるのです。この一番大切な土台が定まらないで、どうして揺るぎない社会が築かれましょうか?。今の社会が混迷を極めているのは、皆が皆人間として生きているからです。その意味でも、今私達が一番にやらねばならないのは、真の人間を知らしめる作業です。殺人兵器に莫大なお金をかけるのに、一番大切な人間を知ることにお金をかけないとは、何ともおかしな話ではありませんか?。

ここで注意したい点が二点あります。一点は、本当の自分を思い語るのに遠慮は要らないということです。私達は、人間という嘘を付き過ぎているのです。それも、自覚無しにです。世の中には、嘘と知りつつ嘘を付く人達が沢山おりますが、そんな嘘はまだかわいい嘘です。一番厄介な嘘は、嘘を嘘とも知らないで付く嘘です。なぜなら、知って付く嘘は直しやすいですが、知らないで付く嘘は直すのが大変だからです。嘘が真実を生むなら、どうぞ嘘をついて下さい。でも嘘からは嘘しか生まれないのです。この嘘は、知らず知らずのうちに私達を重罪人に仕立てているのです。

なぜそれほど嘘の罪が重いかといいますと、人間と思うから偽りをいうのです。人間と思うから盗みをするのです。人間と思うから人を傷つけたり殺したりするのです。自分を人間と卑下すれば、どうしても罪を犯してしまうのです。もし自分の本性が生命だと知ったら、決して罪は犯さないでしょう。これは大金持ちが盗みに入らないのと同じ理屈です。腹一杯の人が無銭飲食しないのと同じ理屈です。どうか、嘘の重大さを知って下さい。


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もう一点注意したいのは、必要以上の知識を詰め込んではならないという点です。私達は今日まで、沢山の知識を身に付けてきました。この世で生きてゆくために仕方のないことなので全面的に否定はしませんが、知識を多く身に付ければ付けるほど考え方に弾力性がなくなってしまうのです。これは真理を追究する上で、非常に障害になります。もし真剣に真理を追究したいなら、できるだけこの世の知識を食べないことです。できるなら、これまで持っていた余分な知識を捨てることです。

こんなことをいうと、何をいうのかと怒られそうですが、良いのです。いつか必ず分かってもらえる時がきます。

本道に戻りましょう。

私達が自分のことをボディーだと思いたくなるもう一つの理由は、卵子と精子が結びついて細胞化し、さらに諸器官が作られ、人間の形を取って生きるものになると思っているからです。でもボディーは、すでに形を取る前から生きているのです。なぜなら、ボディーを形ち造っている原子そのものが生きているからです。先ほど、本質そのものが生命だといいましたが、生命=本質=原子なのです。その生命はエネルギーですから、原子そのものが生きていて当然なのです。次のように考えたら、分かりやすいかも知れません。

ここに人形のパーツ原子があり、そのパーツを組み合わせて人形を完成させたとします。形が作られ人形は生きるものになると思われがちですが、パーツの段階で人形は生きているのです。パーツ原子一つ一つに命があるのです。ただパーツの命は、パーツを保全する力しか持っていないため、形全体を保全することができないのです。形を統合し保全するのは、あくまでも生命核()の役目です。これは丁度、家が作られると中に電灯が必要になるのと良く似ています。この電灯に当たるものが、一般的にいわれている魂(生命核)と呼ばれるものなのです。パーツの命と生命核とは、働きが別々なのです。本質的には同じものですが、進化の歩みが違うため役割が違っているのです。

生命核が抜けると形は維持できなくなり、形の要素である原子は宇宙空間にバラまかれますが、無くなったわけではなく、宇宙空間に浮遊し再び形をとるチャンスを伺っています。生命核も同様に、宇宙空間に浮遊し次なる宿りを待っているのです。形は消えて無くなりますが、原子も生命核も永遠不滅の存在なのです。

ここで強調したい点は、宇宙に本質は一つしかないということです。生命は宇宙に一つしかないのです。その一つしかない生命本質が、万象万物の中に平等に行き渡り生きて働いているのです。

この宇宙は、一つの生き物なのです。宇宙そのものが生き物だということです。私達は、今その生き物の中にいるのです。そしてその生き物は、今そっくりそのまま私達の中いるのです。だから、人間を知れば宇宙を知ることができるわけです。

釈迦は衆生の苦しむ様を見て、「なぜ人間はこうも苦しまねばならないのだろう?!」とお嘆きになり、苦しみから抜け出す方法を探るため山にこもられました。何年もの思索の末、得られた結論はこうでした。

「本当の人間は、ボディーでは無く生命であった。しかし誰もが、自分のことをボディーだと思って生きている。ボディーを自分として生きる限り四苦から逃れられないのは当然で、これは実に嘆かわしいことである。もし生命に目覚めたら、一切の苦しみから解放されるのだが・・・。でも、どんなに「人間の本性は生命である!」、と力説しても解ってもらうことができ無い、・・・。一体どうしたものか?。」

この悩みは釈迦だけでなく、古今東西覚者達が一様に持つ悩みであり、その悩みは今もって解決されていません。ではその悩みを少しでも解決すべく、私なりに生命の証を立てて見ることにしましょう。


この宇宙には、唯一「生命」という名の意識主がいるだけです。これは絶対真理ですから、誰も否定することはできません。この事を前提に考えれば、次のような論理が成り立つはずです。

「私達は意識を持っている、ゆえに私達は生命である」と・・・。先程もいったように、ボディーは生きていないわけですから、ボディーに意識があるはずがありません。意識を持っているのは唯一生命ですから、意識を持っている私達が生命なのは、当たり前ではありませんか?。

この意識は、誰も手放すことはできないのです。どんなに無くしたいと思っても、決して無くすことはできないのです。それが生命である証しなのです。

今、あなたは私と思っていますね。誰が私と思っているのでしょうか?。ボディーのあなたでしょうか?、生命のあなたでしょうか?。ボディーは生きていないのですから、私と思えるはずがないのです。

そこにあなたの影が写っています。その影をあなたは見ています。その見ているあなたは、影のあなたですか?、生命()のあなたですか?。影が影を見られるわけがないのです。本当にある生命()が影を見られるのです。あなたが様々なことが理解できるのも、実際に存在する生命だからです。実際に存在する生命が理解するのであって、実際に存在しないボディーが理解するわけがないのです。

もう一つ崩せない絶対真理があります。それは、言葉は生命のみにあるという絶対真理です。その言葉を今あなたは語っています。ということは、あなたは生命ではありませんか?。ボディーは存在しないのですから、存在しないボディーが思考を持つはずがないし、言葉を持つはずもないのです。生命だけに思考があり言葉があるのですから、今語っているあなたは間違い無く生命なのです。ただ、自分のことを生命だと思っていないだけです。しかしどんなに生命だと思っていなくても、生命である事実は変わらないのです。

このように生命の証しは、「意識を持つ」「思考を持つ」「理解できる」「言葉を持つ」ことで立証できるのです。それでもあなたが生命で無いとおっしゃるなら、あなたは神を冒涜していることになります。生命でありながら人間だと主張するのは、父親の王の前で息子の王子が、「私は乞食だ!」といっているようなものです。

初めは単なる誤解だったかも知れませんが、いつの間にかそのような立場にしてしまったのが人間なのです。さあ、誤解を解きましょう!。生命に目覚めましょう!。目覚めれば即、生命のような働きができるのですから・・・。

繰り返して言いましょう!。

「私達は生命です。」

「宇宙生命そのものです。」

どうしてもそう思えないなら、こう考えて下さい。私は人間の形をしたロボット(乗物)の中に入って運転している生命だと・・・。人間の皮をかぶった生命だと・・・。後ろで人形を操っている生命黒子だと・・・。

運転手である生命がものを考え、語り、行っているのです。私達は外形に惑わされ、人間と錯覚しているだけです。人間と錯覚すれば、人間以上の知恵も力も出せないのは当然です。しかし生命の自覚が持てれば、今そく生命としての知恵と力が出せるようになるのです。お釈迦さまが言っていた正しく見るとは、「人間を外形で見るのではなく、本質、すなわち、生命を自分として見なさい!」と言っていたのです。

今私と思っているあなは生命です。今語っているあなたは生命です。今料理をしているあなたは生命です。今歩いているあなたは生命です。生命と思うに、思い過ぎるということはありません。

ぜひ、本当の自分!、生命の自分!、を意識するよう務めて下さい。



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